「どうして建築家が掛時計をデザインしたのだろう?」
アルネヤコブセンの、掛時計を通したデザインについて。
デンマークの人々の暮らしに、とても身近なアルネヤコブセン。
空港のラウンジで出逢ったり、デンマーク国立銀行の堂々とした佇まいが街の中にあったり。
少し前の買付で、ふと、”Rødovre”の標識が目に入りました。
かつて、お世話になっていたディーラーさんの前の倉庫付近。。。
”Rødovre”……もしかして、市庁舎が近くにあるのでは?!
家具の買付がメインの為、主な予定は倉庫でのアポイントや家具の移動だったので、ふとヤコブセンの建物が
近くにあるのでは?!と過った事がありませんでした。
この辺りかもしれません、と、車を走らせて、30分ほど。
”Rødovre Rådhus”/市庁舎 に出逢うことが出来ました。
このうつくしさは、間違いなくROMAN!!
おおーっ、、、圧倒的に、カッコイイ。そんな感想でした。
■ なぜ、建築家が時計をデザインしたのか
アルネ・ヤコブセンは生涯を通して、ひとつの思想を貫いています。
“I have always wanted to create totality.”
(私はつねに“全体”をつくることを望んできた)
— Carsten Thau & Kjeld Vindum 『Arne Jacobsen』より
建物そのものはもちろん、
その中で人が触れるもの、目に入るものまで含めて
“全体として美しくあること” を求めました。
だからこそ彼は、家具、照明、テキスタイル、そして掛時計までを手がけています。
家具メーカー Fritz Hansen の資料にはこう記されています。
“Jacobsen designed furniture only when the buildings asked for it.”
(建物がそれを必要としたときだけ、家具をデザインした)
時計もまさにその延長でした。
■ 時計は “建築の一部” として生まれた
Aarhus 市庁舎や Rødovre 市庁舎の図面資料を見ると、
ヤコブセンの掛時計は「家具」ではなく “wall element(壁面構成要素)”として登録されています。
つまり、彼にとって時計は
建築の表情・リズム・空気を決めるために欠かせないものだったということ。
光があたり、影が落ち、遠くからでも美しく見えること——。
それらすべてが建築の設計の一部として扱われていました。
■ そして、時代と空間を越えて「暮らしの中の時計」へ
では、彼の設計した空間ではない——たとえば日本の和室や、昭和のマンションなどでは
ヤコブセンの時計はどう受け止められるのでしょうか。
実は、一次資料にもそのヒントがあります。
MoMA(ニューヨーク近代美術館)の解説には、ヤコブセンのプロダクトについてこうあります。
“His objects achieve neutrality—quiet enough to belong anywhere.”
(彼のオブジェクトは中立性を獲得している。どこにでも属しうる静けさがある)
また、ヤコブセン研究書にはこうも書かれています。
“Jacobsen aimed at creating forms with universal validity.”
(彼は普遍的に成立する形を求めた)
建築のために生まれたデザインでありながら、場所を選ばない“静けさ”と“普遍性”を持つ——
これこそが世界的に愛されるヤコブセンの魅力なのだと思います。